こんにちは。
今から6年ほど前、私が初めてお寺に坐禅にお伺いをした時、その時の参禅者は私ひとりだけだった事もあり、ご住職と密にお話をさせていただく機会となりました。
その際、ご住職が「非思量(ひしりょう)」についての説明をしてくださいました。
ゆっくりとした口調で説明してくださったのですが、その際私は私にとってなんとも意味が分らず、手元には難解なメモ書きだけが残りました。
数年経過し、再度学び直し、少し理解が深まり、おそらくこういう事ではないかという理解に至りました。
端的に記載するとこちらです。
「非思量」= 思量(考え)を非(無し)にする
= 「心を無にする」
という事です。
近年注目が高まっている(と感じる)スピリチュアル的に述べますと、
心を無にすることで、無意識の領域(潜在意識)に繋がることになるのかもしれません。
非思量の概念は、禅宗の教えや坐禅の修行にも重要な役割を果たしています。坐禅では、思考を止め、ただただ呼吸に集中することで、非思量の境地に至ろうとします。思考の渦に囚われず、ただ静かな心で現在の瞬間に存在することが目指されます。
そして、非思量は単なる無思考や無計画とは異なります。それは心地よい状態の中で、直感や洞察に従って適切な行動を取ることです。思考の力を抜くことで、より自然で本来の自己に近づくことができるとされています。
また非思量は、普段の生活においても意味を持ちます。例えば、物事に執着しすぎず、自然の流れに身を委ねることで、心の安定や穏やかさを得ることができます。また、他者との関わりにおいても、思考や予想に囚われず、直感や共感に基づいた行動をとることで、より深いつながりを築くことができるでしょう。
私は日頃から様々な仏教用語や禅語に触れていますが、その意図が深くとても興味深いと感じます。ただただ坐る。それが基本であり最終形でもあるのでしょうか。とにかく、私はこの素敵な坐禅を多くの方におススメしております。
以上、お読みいただきありがとうございました。