坐禅で貯金2000万

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「虫眼とアニ眼」養老孟司×宮崎駿 を読んで

こんにちは。

面白いと感じた書籍をご紹介させていただきます。

「虫眼とアニ眼」養老孟司宮崎駿 新潮文庫

 

言わずと知れた解剖学者の養老孟司さんと、アニメ映画監督の宮崎駿さんの対談をまとめた書籍です。私はどちらの方も好きなので、大変興味を持って読ませていただきました。お二方はいずれも戦前、戦中生まれであり、且つたいへん博識であり、やはり現代を生きる私とは視点が大きく異なり、凌駕されているものを感じます。

本書の中で私が特に面白さを感じた箇所をいくつか列記します。

 

 

養老孟司さん

現代社会に、個人として生きている人が、どれだけいると思う。農家は減る、個人商店は減る、自分一人では生きられないとおもっているからでしょうか。そんなことでは、アニメの評価だって、自分でできるはずがない。自分自身の好みすらを徹底的に抑圧しているんだから。だからたかがその好みに、理由を要求する始末になってしまう。好きだということに、なんの理由が必要か。

アニメであれ文学であれ、あらゆる芸術表現は、その方法でなければ表現できないものを含んでいる。だから文字にならない、言葉にならないのである。そもそも文字でもなく言葉でもないから、芸であり術なのである。それでなければ、言葉だけあれば十分ではないか。その芸や術を、言葉にして説明されなければ、気が収まらないというのは、典型的な現代病、脳化という病気である。西欧文化が以前から病気にかかっていることは、はっきりしている。

 

宮崎駿さん

「うちの子どもはトトロが好きで、もう100回くらい見ています」なんて手紙が来ると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。誕生日に1回見せればいいのにって(笑)。結局、子どもたちのことについて、なにも考えてない。だって結果として、養老さんが言うところの脳化社会にぴったり適応するような脳みそ人間だけをそだてようとしてるでしょう。トトロの映画を1回見ただけだったら、ドングリでも拾いにいきたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。なんでそこがわからないんだろうと思うんだけど。

散歩なんかしていると違う感じを持つでしょう。ぼくはその範囲の人間ですね。そういうところでオロオロしていると、煩悩がなくなるわけじゃないんだけど、煩悩が単純化するんです。明瞭になってくるんです。

 

養老さんの「好きだということに何の理由が必要か」「芸術表現はもじにならない」こうした事は、なんとなく、坐禅の世界観にもいえる事だと感じます。言葉にできないから、坐ってみないと分からない。なんにでも言葉の説明ややる理由などをつけないといけない脳化社会…これは、考えさせられるところが大いにあります。

 

トトロの作者が「あんまり映画を見ないで」と述べているなんて、とても意外すぎて驚きです。しかしまあ、理由も分らなくもないです。

 

宮崎監督もそうなのかもしれないですが、作曲家のベートーベンも、かなりの散歩人間で、散歩中に思いついた名曲が多く存在するそうです。当ブロブのテーマに沿って考えると、私が行っている坐禅には、歩き坐禅「経行(きんひん)」というものがあり、歩行と煩悩の単純化という接点がもしかしたらあるのかとも感じます。

 

さて、本書には、坐禅人としての気付きもありました。

養老孟司さんと、宮崎駿さんの対談はyoutubeでも動画がアップされているものが見つかりますので、見られても面白いと思います。

 

以上、お読みいただきありがとうございました。

UnsplashのNicolas Bruloisが撮影した写真UnsplashのNicolas Bruloisが撮影した写真

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